京都観光 おすすめ 京都の芸術 花街の歴史① Art Kyoto Hanamachi

2019.10.22 (火)

京都観光 おすすめポイント 京都の芸術 花街の歴史 Art Kyoto Hanamachi

「花街」の呼称は中国が発祥です。遊芸を楽しむ遊里を「花街柳巷」(かがいりゅうこう)と呼んだのが由来で「花街」「花柳界」と称しました。江戸時代の随筆である滝沢馬琴の「羇旅漫録」(きりょまんろく)、ニ鐘亭半山の「見た京都」には「遊女町」「傾城町」「曲輪」などと表記して「いろざと」「いろまち」「くるわ」と読ませています。

京都の花街は、我が国最初の官許の廓である島原をはじめ、上七軒・祇園甲部・祇園東・先斗町・宮川町があります。長きにわたり「六花街」とよばれ京文化の一翼を担ってきました。かしの式などの伝統を伝えてきた島原からは茶屋営業がなくなり現在では「五花街」が残っています。京都市は「京・花街の文化ーいまも息ずく伝統技芸とおもてなし」を「京都をつなぐ無形文化遺産」第二号に指定しました。

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●島原 (下京区西新屋敷町)天正17年(1589年)に官許の最初の廓としてにぎわいました。はじめは二条柳町に開かれましたが、寛永17年(1640年)に現在の地に移転しました。廓はなくなりましたが旧揚屋(あげや)の角屋(すみや)(重要文化財)、旧置屋(おきや)の輪違屋が残っています。花屋町通の正面入口の大門と柳が往時をしのばせます。近世から多くの文人に親しまれた角屋(すみや)は「角屋おもてなしの文化美術館」として建物が一般公開されています。

●祇園甲部 (祇園町南側と花見小路、四条通、縄手通り、新橋通で囲まれた区域)寛永年間(1624年~1644年)に祇園社(八坂神社)門前から大和大路通に至る道すがらに水茶屋などが建ったのが起源です。寛文年間(1661年~1673年)に四条大和大路の南側にかけ茶屋町「祇園外六町」が生まれ、のちに四条通北側に「祇園内六町」が生まれ、祇園新地とよばれました。

現在の祇園甲部歌舞練場には大正二年(1913年)に建てられました。毎年春には「都おどり」が開催されます。歌舞練場に隣接する弥栄会館には年中定期的に舞踊を観賞できる施設として「ギオンコーナー」があります。舞妓による文楽・雅楽・狂言・茶道・華道・箏の七つの伝統芸能w鑑賞できます。

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